講談社さんからの電話で、『トビウオ』が最終選考に残っていると知ったのが、2024年の夏。
まずは、ちゃんと読んでもらえたことに感動しました。
たくさんの応募作にいったいどうやって目を通すのだろう? と、ずっと不思議だったからです(下読みというお仕事があるのだと、あとから知りました)
続けて、編集者の男性の方が言いました。「すごく面白かったです」…!
驚きで、息が詰まりそうになりました。
ドラマなどの影響か、編集者という職業に対して厳しいイメージをもっていて、簡単にほめたりしないはずだと思い込んでいたんです。
なんとかお礼を言いながら、頭の中ではそのとき考えなくてもいいことばかり、考えていた気がします(突然の編集部からの電話は、思考力を低下させます)
電話を置いたあとは、なんともいえない不思議な気持ちでした。
『トビウオ』は落選した今も、わたしにとって大切な作品です。ただ、原稿を送るときから、これは小説になっているのだろうかと不安でした。
創作の基本的な勉強をしておらず、知っていること=起承転結のみで書きました。あちこちに粗があることはわかっていましたが、その粗を修正する方法がわかりません。でも通して読むと、面白いところもあって…。
後日、並んだ5作品のタイトルを見ても、自分のだけふわふわしているように感じました。
これはあとから考えたことですが…、わたしの書いたものは「読みやすかった」と言ってくださる方が多いです。
前職の編集部で、記事の執筆だけでなく校正もしていて、退職後も細々と校正の仕事を続けてきたので、校正力がカバーしてくれた部分も大きかったのかもしれません。
公募に挑戦中の方は、書き上げたあとの校正にも力を入れることをお勧めします。
落選の電話をいただいたときはショックでしたが、やっぱりと思いました。
選評にあった「筋がぼんやりしている」「対立も理解も浅い」はその通りなのですが、指摘され初めて気づいたことでした。一人で書いていたので、なにも見えていなかったのです。
加えて、主人公の友人の書き方がまずく、選評ではそのこともストレートに書かれていました。
その点についてはとても胸が痛みました。大切に思って書いた登場人物の一人で、生きているように感じていたからです。申し訳ない気持ちで涙が出ました。
ちゃんと正しく書かないと、読んだ人には伝わらない。
下手をしたら、だれかを傷つけてしまうかもしれない。
勢いだけじゃだめなんだ。楽しく書けばいいってものじゃない。
小さいころから空想したり、童話を書いたり、「ウソっこの世界」で遊ぶように過ごしてきました。
わたしの頭の中で考えたことだから…。そういう気持ちがどこかにあったのだと思います。
でも、作品として世に送り出すのなら、公募段階だとしても、生半可な気持ちではだめなのだと思い知りました。
「文学」の意味も改めて考えるようになり、書き方の勉強をしなければいけないと強く思いました。
登場人物の一人ひとりを大切にすること、それが読んでくれる人を傷つけないこと、大切にすることにつながる。
大事なことを知ることができた上、選考委員のお一人である如月かずさ先生から激励の言葉をいただく機会もあり、チャレンジしてよかったなと心から思っています。
③に続きます。

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